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書いたら棚卸し

元来飽き性な性格ですから、長くものを続けるというのは私にとってはたいへん難しい。書きものも考えごとも、好みも。その割にうじうじしたことに限って長らく苦しんだりはするけども。

ブログで言えば、ここは3つ目?です。学生の頃にずっとやっていたものと、その後に何かまとめ書きしておきたくて作ったものと、ここ。友人と何かしたくて建てたところもあるけど、私のことだけでいえばそのような感じ。ずいぶん前にどこかで読んだ「ものを書くことは頭の中の棚卸し、商品を把握していない人間に何の商売ができよう」という雰囲気のフレーズがとても腑に落ちたので、特に社会に出てからは強いても実践したく思っていましたが、行うは難いというのはほんとうですね。

なにしろ、冒頭のごとく、私が飽き性だということ。発火着火はしても続かない。スターターばっかりで、燃料タンクがあんまりありません。そういう意味では思いつきと実働と結果がごく短時間にあらわれる料理というものは性に合っているかもとは思いますが、その話はまたいずれ。

とはいえ、ものを考えていないというわけではなく。電車に乗ったり、掃除機をかけたり、髪を洗ったりしているときなんかにもやもや浮かんでは消えー浮かんでは消えーしますが、そういうのはドライアイスみたいなもので、どんなに「こりゃ真理!」と思ってもひゅっと消えます。それでまた同じことを考えていたりするから、結局キャッチ&リリースのループ。

そうなるということはやはり棚卸しが足らんということでしょうから、ものを書いて置いておいてみようと思っています。それがここです。表現にもいろいろあるけれど、ただ身のまわりを整理したいだけであればもの書きは元手も要らず、非常によろしいですね。そして、文章は私にとってももっとも身近な表現手法です。本が好きで、読みながら育って、いくらか活動的でないときもありましたが、今は人様の文章を扱っていくばくかお金をいただいていますから、まあ自分で選んだやり方とはいえそれなりにお付き合いを続けていると言っていいのではないでしょうか。

表現という意味では「書きたいものがあるから書く」ことが一番シンプルな動機であるのかもしれませんが、私はそうではないです。書けるようになりたいから書いてみます。私は常々、優れた表現者とは優れたフィルターの持ち主だと思っていますが、わが身がそこまでよいものでなくとも目詰まりや穴あきを放っておきたいとは思わないし、できればよりよいものにしてみたい。それは才能じゃないなら鍛錬かなとも思っています。

しかしここまでぼんやり書いてみたものの、まとまりないない。これでも一時期ちょっと論理派よりの人として扱われていたこともあったりするのですが、今じゃ説明アワアワ、わからなきゃ行って誰かに聞きゃいいでしょ、のオバチャン感覚を身につけつつあります。

(でもこれ、もしかしたら、これまでは自分のキャパ内でなんとか収まっていることしか扱っていなかっただけで、単純に自分のキャパ越えのことに相対するようになって本来の自分の実力不足が出てきた? のかもしれない。怖い怖い。)

あと、変換がこなれてなさすぎて校正の訓練にもなりますね。一度だけ読んだら振り返らないことにします。